求めるものは
無重力空間に浮かぶ青い艦―周りは吸い込まれるような黒で覆われている。
ようやく長かった戦いが終わり、兵士達はつかの間の休息を得ていた。めいめい疲れた体を引きずりながらも声を掛け合い、廊下には明るい声が久しぶりに響き渡っていた。今日も生き残れた……そんな嬉しさをかみ締めているかのように。
しかし、その群集達と逆の、艦の外れの方へ向かう銀髪の少年がいた。かなり疲れ果てているらしく、焦点が合っていない。ただ脳裏にあるのは前に進むという機械的な動作のみ。次の任務について思いをめぐらそうとしても、出てくるのは会えないはずの少女の顔や、今朝食べたはずのメニューなど取りとめが無い。自分の名前さえ思い出すのが億劫になり、ただただ歩を進めているだけだった。
(疲れた……)
出てくる単語といったらそれしかなくて。確かに様々な思いは胸にあっても、確かに感じられるのは、この単語だけしかなかった。会いたいとか、むかつくとか、そんな感情は今は自分には重過ぎる。ただ、単純な一言だけが頭の中でぐるぐると絶え間なく動き回っていた。目を閉じて手すりに掴まりながら歩いていると、自分の部屋のベットが目の奥に見えたりして、相当重傷だと彼は一人苦笑した。
しかし、前方に聞きなれたドアの開く機械音で、ゆっくりと目を開けた。誰か出てくるかという疑問のみで、ゆるゆるとその人物の確認のために止まる。
「い……ざーく?」
ここ何週間か耳に入ることの無かった愛しい声。そういえば、自分はそんな名前だったかもしれないと考えたりする。先ほどの緩慢な動きとは裏腹に、銀髪の少年−−イザークは瞬時に顔を上げた。彼の網膜に映し出されたのは、茶色い髪を揺らしかすかに驚きの表情を浮かべ小首を傾げている……他の誰でもない、イザークの恋人・だった。数週間前に笑顔でまた明日、と言ったはずなのだが、急な敵襲で彼は戦へと駆り出された。それを彼女に告げるすべもなく、ただ彼女に会えない思いだけが彼の中で募っていった。そして今日、何をするでもなく疲労の波に漂っていた彼は、ようやく数週間ぶりにと出会えたのだった。
彼女を瞳に捕らえた瞬間に、彼は驚くほど早く動いていた。逃げないようにしっかりと肩を抱くと、彼女の右肩に額をつけた。首筋に頭を埋める様にして、深く深く息を吐く。彼の銀髪が彼女の首筋をかすったのか、微かに彼女が身震いをする。しかし、それをも逃さぬ様に彼はしっかりと肩を抱いた。先ほど、何も考えられずにただ前進していた少年とは違った。どこにそんな体力が残っていたのだろうというほど、彼の動きは突如として機敏になり、そしてそれと同時に緊張しきっていた筋肉は解放されたとばかりに緩んだ。本物だと感じた瞬間に起きた数秒の出来事だった。我ながら単純だと彼は額を付けながら、再び苦笑する。先ほどの苦笑とは違い、いささか晴れやかだったが。
「イザーク?今日、帰りだったの?」
逆に、抱きつかれてしまったは、所在無さげに両手を上げ下げしながら彼に問うた。すると頭が少しだけ、上下に動く。そしてまた何かを求めるかのように、彼女の肩にきつく額を押し付けた。
「…………しょーがないなぁ。とりあえず、部屋入ろう?」
ゆっくりと背中を1、2回撫でると、不思議なほど素直に離れた。少しバツの悪そうな、照れた様な顔で、導かれるまま中に入る。
は先を行きソファを整えて、彼のほうを向いた。
「コーヒーで良い?そこで座って待ってて」
床を一度蹴り、キッチンまで移動しようとする。しかし、それも伸ばされた手によって阻まれてしまった。振り向くと、珍しく困った様な顔の恋人がいた。しかしその顔が見れたのも数秒だけで、後は彼女に落とされた影が全てを物語っていた。
数分後、イザークはコーヒーを片手に満足げな様子でソファに身を沈めていた。当の恋人は少し怒った様子でキッチンを行ったり来たりしている。もうすぐ料理も出来上がる頃、味も太鼓判だ。
「信じられない……」
「しょうがない。疲れていたし、俺も前後不覚だった」
「まぁ、新鮮なイザークが見れたから良いけどね!余裕ないなんて、初めてよ」
くすくすと笑いながら身を乗り出す恋人に、思わず赤面しながら照れ隠しにコーヒーをあおる。出来上がりを持ってソファに行くと、皿を置くのもそうそうにソファに移動させられる。
「ちょっと!」
「……3週間会ってなかった。足りない」
そういうと、彼女の肩は彼のものとなった。滅多に見せない彼の弱った部分に、しょうがないとため息をつくと、彼女もゆっくりと身をあずけた。
数時間後、なかなか来ないからと呼びに来たディアッカに二人が散々からかわれる事は、知る由も無く。
END